皆様明けましておめでとうございます、ゆうゆう未来館岩倉です。

新年から熱い勝負が繰り広げられたようです。(○▽○)/

2024年最初のレクリエーションは、カルタとりでした★

日本最古のカルタは天正年間(1573~1592年)に作られ「天正カルタ」と呼ばれており、

あまりの人気ぶりに花札に似た遊びに使われた事もあったとか。

さらには貫禄(1688~1704年)の終盤には、大人数で遊ぶために札数が75枚にまで増えた

「うんすんカルタ」が考案され、

ゆうゆう未来館岩倉では手に取りやすい大きなサイズのカルタが作られたようです。

カード遊びはこれからも日本人の心をつかんで離さないのでしょう。(^▽^)/

盛り上がった後はゆっくり・まったり、お茶の時間となりました。

平安時代初期の僧侶、「最澄」と「空海」らが、唐(中国)から

お茶を日本に持ってきたのが始まりとされています。

その後江戸時代に、宇治の農家で茶業家であった永谷 宗円(ながたに そうえん)が、15年の歳月をかけて、

茶色から緑色の色を出す製茶法(宇治製法)を確立させ、現在でも受け継がれています。

日本全国でお茶文化が親しまれるきっかけとなりました。

江戸時代後期には、江戸の茶商・山本 嘉兵衛(やまもと かへい)によって、

さらに高級感のある玉露が誕生しました。(^▽^)/

お茶をたてる音の次は、

トントンと軽快な音が聞こえているようですが?(◎△◎)/

はっけよーい、のこった!

紙相撲の始まりは、昭和26年、相撲に興味を持ち、

当時の力士、栃錦 清隆(とちにしき よたか)のファンになった、徳川 義幸 (とくがわ よしゆき)氏が、

休み時間に下敷きの上で力士のおもちゃ同士で試合をさせたのが始まりとされています。

その後、力士のおもちゃの材料、土俵となる箱の材質、箱を叩く場所や強さ、等が研究され、今日に至ります。

研究を行い物事を改良する様子は、岩倉においてご利用者様の為に介護の方法を模索する様子と

通じる部分があるのではないでしょうか?(^▽^)/

紙相撲での盛り上がりから一転して、静かなご様子となりました。

ご利用者様の手元もゆっくり動いており?

願いを込めた、書初めが始まりました。

書き初めは、平安時代の宮中における「吉書の奏(きっしょのそう)」という行事がルーツです。

吉書の奏は、改元・代替わり・年始など、物事が改まった節目に、天皇に文書を奏上するというもの。

本来は行政手続きなのですが、内容は儀礼的で、政治がつつがなく進行しています…

という慶賀を述べるものでした。

江戸時代になると、この吉書始めが庶民の間にも「おめでたい新年に書道(習字)をする」

という行事となって広がりました。

書初めを初め、ご利用者様が作られた作品は施設の壁面等に飾られ、

2024年もゆうゆう未来館岩倉を彩る事でしょう。

ところで皆様は気づかれたでしょうか?写真の中に新しい大きなメンバーが写っているのですが?

正月より前に、ご利用者様によって赤い色紙が貼られていき?

巨大な福達磨さんが現れました!(◎口◎)/

福達磨は、病気を払う願掛けの為に江戸で流行したとされます。

赤いものが邪気を払うと信じられていた為、願いを込めて子どもの枕元等に置かれたと言われます。

だるまは何度倒れても起き上がる「七転び八起き」の縁起物として広く知られ、

願い事をするときに左目、願いが叶ったときに右目を入れることで有名です。

インド出身の仏教祖「達磨大師」がモデルだとされ、

壁に向かって座禅を組む壁観(へきかん)という修行を9年間続けました。

他にもカラフルなメンバーが、ご利用者様を見守っています。(^▽^)/

それでは皆様、ありがとうございました。