皆様こんにちは、ゆうゆう未来館岩倉です。
キャベツ・青のり・紅しょうが・鰹節、(○▽○)/
食堂でお好み焼きが出来上がりました。
お好み焼きの起源は、小麦粉を水で溶いた物を、平らに焼いた(煎餅)であった
とされており、中国では小麦粉で作ったこの種の物を餅(ビン)と呼びます。
煎餅は、夏(か)と呼ばれる時代、日本の新石器時代の遺跡から、
陶ごうという煎餅を焼く調理器具が出土しています。
日本では、唐で知識を身につけた学者の吉備真備(きびのまきび)によって
講義の際に学生らに煎餅を振舞ったとされますが、
日本の粉食は団子と麺類にのみ嗜好が傾斜し、
煎餅類は歳月を経て、千利休により「ふの焼き」が茶界に登場するのを待つ事となります。
「ふの焼き」はうどん粉を水と酒で練った生地を薄く延ばして焼き、
味噌を塗って丸めた物で、日本的お好み焼きの原型とされています。
戦前、駄菓子屋の店先で買い食いする「もんじゃ焼き」が人気となり、
テイクアウト可能な「どんど焼き」が登場しました。
洋食のブームに伴いどんど焼きにウスターソースを塗った物が
「一銭洋食」で、昭和初期に子どもたちに大人気となりました。
戦後、飢餓の時代に突入し、空腹を癒す食べ物として
「一銭洋食」が取り上げられ、子ども達の一銭洋食を国民的な食べ物へ格上げされました。
昭和30年代に入ると、地域や店舗ごとに様々な具材が使われるようになり、
大人の味覚に充分応え、あらゆる層から圧倒的な支持を得るに至りました。
並んでお食事★ 一緒に食べれば、きっともっとおいしくなるでしょう。(^▽^)/
ご利用者様にとって懐かしいお味が、ゆうゆう未来館岩倉で提供され、
笑顔と思い出があふれる時間となりました。
そして香ばしい味の後には・・・
真剣な眼差しで、芋をペースト状に裏ごしして、出来上がったおやつは?
芋ようかんが完成★おまけでミニたい焼きと一緒です。
芋ようかんは、明治時代、浅草の芋問屋と菓子職人によって一緒に作り出されました。
当時高価だった練りようかんは庶民が口にする機会が少なく、手ごろな食材のさつま芋を使った和菓子が、
練りようかんの代用とされ、さつま芋の研究・調理法・調味料の配合まで試行錯誤を
繰り返しながら「芋ようかん」が誕生したとされています。
練りようかんよりも安価な芋ようかんは、庶民の身近な和菓子として歓迎されました。
来る日も来る日も試行錯誤を重ね、完成された芋ようかん、
ゆうゆう未来館も、常に試行錯誤を行い、これからも素晴らしい介護を実践していきます。(○▽○)/★
それでは皆様、ありがとうございました。